江副浩正と聞いてピンとくる人は、バブルの時代を謳歌した人だろうか。日本の求人広告会社の草分けともいえる、株式会社リクルートの創始者その人だ。彼は偉大な起業家でる一方、企業規模の拡大を焦り、多くの大物政治家に自社関連会社の未公開株を譲渡するという手法による贈収賄事件を起こし、後に有罪判決を受けたことでも知られる。
元々一介の教師の息子で、戦時中は貧しさ故に苦労の絶えない少年期を過ごす。そんな彼がなぜこのような巨大企業を作ったのか、そこには人とは少し違ったものの見方と、工夫を戦略にしてゆく知恵があった。
江副氏が最初に戦略家の片鱗を見せるのは高校時代に遡る。学力優秀で関西の有力進学校であった神戸甲南学園に入学し中高の6年間をここで過ごす。しかし財界人子弟の多い中、友人たちには馴染めず孤立する。彼らは一様に小学生の頃より英語教育を受けており、自分との違いを感じた江副氏は、英語の他に選択できたドイツ語を学ぶことにした。
なぜ、苦学生は巨大企業を作り上げたのか
