朝のワイドショーなどの情報番組で、漫才師の姿を多く見かけるようになった。コメンテーターとして起用されているのだが、彼らの特徴は一様に話のテンポが心地良い。
ニュースの内容に対するコメントについては、諸々考えるところもあるが、話の展開を考えた進行は概ね悪くない。もちろん彼らは本業である漫才においても、テンポの良さやボケと突っ込みに代表されるような掛け合いの上手さは絶妙だ。
話のテンポや歯切れの良い漫才師に比べ、同じ芸人でも落語家ともなると少し違う。例えば「芝浜」や「時そば」に代表される古典落語。その古典落語は脈々と語り継がれている噺で、誰がやっても同じ内容なのだが、落語家によってその印象は全く違うものになると言う。繰り返すが噺の内容は違わない。聞き手が思い浮かべる情景や、登場する人物の憂いや嬉しさが人によって全然違った表情になると言う、もちろん頭の中での話だが。
その大きな差を生み出すのが「間」の取り方だと聞く。声の出し方や表現の方法よりも圧倒的に
なぜ、落語家は「間」を大切にするのか
