なぜ、「負け」に不思議の負けはないのか

 元プロ野球監督の故人、野村克也さんが残した数多くの言葉の中に、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がある。全くその通りだと思う。
 プロ野球の試合は年間およそ140試合、もちろん同一リーグの相手とは何度も試合をする機会があり、同じピッチャーやバッターと相まみえる機会も多い。
 するとどんなに優れた選手でも、最初の対戦では良い結果を残せたとしても、2度目ともなれば、かなり相手に研究され、ピッチャーなら打ち込まれることも、バッターなら打ち取られることも多く出てくる。
 しかしそれでもなお、何度同じ相手と対戦しようとホームランを打ち続ける選手や、同じ相手にもかかわらず、毎度毎度三振の山を築く投手が存在する。
 彼らは何度対戦しても、打者なら厳しいコースに攻め込んで来るどんな剛速球でも打ち返す。投手なら常に相手を研究し、相手の読みの裏をかいて長打の打たれないコースに絶妙に投げ込む。彼らは基本を踏み外さず、さらに不断の努力をしているのだ。
 負けた試合を振り返ると、必ず明確な原因がある。あの場面であの選手に投げたあの球は失投だったとか、あの場面であの走塁はお粗末だったとか…。勝った試合を振り返ると、